今の韓国人たちは、朝鮮通信使が国賓だったと思い込んでいる。しかし江戸の人たちは、通信使が朝貢使節であり、オランダ商館長よりも格下だったことを知っていた。
ざわめく沿道の人々の中を、珍妙な衣装に身を包んだ数百人の朝鮮人たちが進む。入浴の習慣がないので異臭が周囲に漂っている。素行の悪い彼らによる周辺住民とのトラブルを恐れ、警護の侍たちもピリピリしている。
一方、オランダ商館長の一行はわずかに4~6人、役人たちに手厚く警護されながら、気ままに江戸の町を散策する。決定的な違いは、江戸城における徳川将軍との接見のありようである。
その一挙手一投足までもが厳格に規定され、遠く離れた場所から将軍に平伏させられる通信使たちに比べ、オランダ商館長の謁見は簡略化されて気楽なものである。商館長は将軍の前に出ると、西洋の事情などについて質問を受けることもあったようだ。
江戸時代において外国人は珍しく、たとえ弱小国から来た朝貢使節に過ぎない朝鮮通信使であっても、庶民たちにとっては大人気の見世物であった。庶民が気安く近づいて墨跡などをもらうことも出来たようで、このことからも国賓という扱いではなかったことが見てとれる。
江戸という時代は日本と半島における交流史の中でもひときわ疎遠な時代だったと言えそうである。なにしろ通信使たちは徳川250年の歴史の中でたった十二回しか来ておらず、両国の貿易窓口も対馬藩だけに限定されていた。
その間、両国にこれといった波風が立たなかったのは、通信使による交流があったからではなく、疎遠であったからこそであるというのが正解だろう。朝鮮半島に深く関わるとろくなことがないのは歴史が教えるところである。
最近になって、韓国は朝鮮通信使の過大評価の動きをますます加速させているようだ。お世辞にも素行がよいとは言えず、文化的にも文明的にも遙かに劣る国から来た朝鮮通信使を、まるで日本の文化発展に多大な貢献をした大恩人であるかのように歪曲しているばかりか、"明治政府によって通信使の偉大な事跡が消去され、教育の場で歪曲された" などと妄想し、噴飯物のデタラメ記事を載せる新聞まで現れた。
韓国メディアが通信使を礼賛すればするほど、それを評価しない日本に対する韓国人の憎悪は高まっていくだろう。厄介なことである。
※基本的にはこちらの妄想記事のパロディとして書かれたものなので、史実としては多少不正確な部分があることをお断りしておきます。
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