2013年10月21日の中国新聞に通信使関連の記事が載っていたので少し突っ込んでみたい。
"衣装鮮やか 通信使再現行列" というタイトルで、毎度おなじみ「友好」だの「交流」などと空疎な美辞麗句をちりばめた朝鮮通信使イベントの紹介記事であるようだ。
行列が行われたのは広島県呉市の下蒲刈島と記事にはあるが、下蒲刈島は通信使船の寄港地に過ぎなかったので、実際には江戸時代に通信使行列など行われなかったと思われる。
しかし記事はそのあたりの背景には触れず、あたかも江戸時代の下蒲刈島で朝鮮通信使行列がにぎにぎしく行われたかのような誤解を与える内容となっている。
また"島内外の住民たち約290人がチマ・チョゴリなど鮮やかな民族衣装をまとい参加" とあるが、朝鮮通信使に女性など参加していなかったのだから、チマを身につけた参加者がいるのは妙である。
そう思って記事に添えられた写真を見ると、チマ・チョゴリを着た女性だけでなく、現代風の改良韓服を着た一団やサムルノリの楽隊まで参加しており、これでは通信使行列と言うよりも、単なる韓国人行列になってしまっている。
にも関わらず記事は「通信使行列の再現」 だの「華麗な歴史絵巻」 だのと書き立てている。デタラメにも程があろうというものだ。
ソース:http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310210017.html
2013/10/27
2013/07/26
毎日新聞が対馬の朝鮮通信使イベントの中止を遠回しに批判
毎日新聞2013年07月16日付けの紙面に、対馬の朝鮮通信使行列のイベントが中止された例の問題についての長い記事を発見した。
記事全般については「中止は遺憾である」というトーンが濃厚でバランスを欠いた印象を受けた。
例えば、"中止決定は韓国側に相談せず、主催する日本側の判断で決めた" などと余計なことが書かれており「勝手に中止するな」と言わんばかりの言い草だ。
また通信使行列への参加を予定していた韓国の高校生について"生徒たちは昨年の冬から準備してきた。中止が決まって動揺し、がっかりしている" などと書いているが、このように子供を持ち出してオトナを糾弾する手法はいかにもサヨク的でイヤらしい。
また対馬住民に取材した中から、通信使行列の中止を残念がる意見ばかりを取り上げ、多数派である中止賛成派の意見は存在しないかのような扱いだ。しかも仏像を強奪された檀家たちの憤懣やるかたない気持ちには毛ほども触れようとはしない。
要するに「日韓の文化交流はどんな犠牲を払ってでもやるべき」とでも言いたいのだろうか。交流至上主義とでも言えそうな冷酷で知能の低い糞記事である。
ついでにおかしな部分を見つけたので突っ込んでおきたい。
通信使イベントの韓国側関係者が"朝鮮通信使の『誠信交隣』(互いに欺かず争わず、真実をもって交わる)の精神で交流を続け、解決方法を探した方が良かったのでは" などと発言したと書いてあるのだ。
妙なことを言うものである。どうやらこの韓国人は朝鮮通信たちが"誠信交隣"の精神で交流していたと考えているようだ。
しかし、誠信交隣とは対馬藩に仕えた雨森芳洲という儒学者が、対朝鮮外交の心得として掲げたスローガンに過ぎず、実際に通信使たちが交流の場でそれを実践していたわけではないのである。
以前の記事にも書いたように、朝鮮通信使の来貢は嘘と欺瞞の上に成り立っていた。
そもそも、日本の発展を羨んで憎悪し、宿の女中を強姦し、隙を見ては漆器や夜具を盗み、鶏を盗んで町人と喧嘩するキチガイ土人たちのどこに「誠信交隣」の精神があったというのだろうか。
寝言は寝て言えとその韓国人に言ってやりたいところである。
ソース:http://mainichi.jp/select/news/20130716ddm004070022000c.html
2013/05/13
仏像盗難に怒り心頭の対馬が朝鮮通信使行列の中止をついに正式決定
韓国の歴史捏造とも関係の深い朝鮮通信使イベントを、批判的に扱ってきた当ブログとしては、今回の判断は不幸中の幸いと言うべきか。まあ喜ばしいニュースとは言えそうです。
「日韓友好」を金科玉条のように扱う稚拙な日本の言論空間の影響下にあって、果たして本当に中止されるのかどうか疑問視していたのですが、さすがの温厚な日本人もついに我慢の限界に達したといったところでしょうか。
また「キチガイのような名前」であると当ブログで批判していた祭りの名称(厳原港まつり対馬アリラン祭)に関しても、今回から変更されるとのことで、これも朗報と言えそうです。
ちなみに「朝鮮通信使に関する報道を批評する」という当ブログのコンセプトから言えば、今回の記事には特に突っ込みたいような箇所も注目すべき点も見当たりませんでした。
「日韓友好」を金科玉条のように扱う稚拙な日本の言論空間の影響下にあって、果たして本当に中止されるのかどうか疑問視していたのですが、さすがの温厚な日本人もついに我慢の限界に達したといったところでしょうか。
また「キチガイのような名前」であると当ブログで批判していた祭りの名称(厳原港まつり対馬アリラン祭)に関しても、今回から変更されるとのことで、これも朗報と言えそうです。
ちなみに「朝鮮通信使に関する報道を批評する」という当ブログのコンセプトから言えば、今回の記事には特に突っ込みたいような箇所も注目すべき点も見当たりませんでした。
2013/03/25
対馬で朝鮮通信使パレード中止の可能性
韓国人窃盗団によって盗まれた対馬・観音寺の仏像の返還を、頭のイカれた韓国の裁判所が差し止めるというトンデモ判決を下した問題で、長崎県対馬市の関係者は怒り心頭に発しており、日韓友好のシンボルとして同市で長年続いていた朝鮮通信使イベントを中止する可能性が高まっていると2013年3月24日付けの産経新聞が報じている。
通信使行列の再現パレードが同市の「厳原港まつり対馬アリラン祭」のメインイベントとして行われていることは当ブログでも以前触れたが、記事によると"島内には「まるで韓国の祭りだ」と反対の声もあったが、山本氏(同祭振興会長)らは「日韓友好のためだ」と説得" して強行していたことが暴露されており、こんな事件でもなければなかなか表には出てこなかった情報として興味深い。
しかし、そんな山本さんも最近は、「もう韓国という国に我慢ならん。今年も(通信使パレードを)やるというなら私は会長を降ります」 と発言しているらしい。
この発言には、通信使関連行事の氾濫に批判的な当ブログとしてもエールを送りたいところだが、「何があっても韓国には寛容であれ」などと唱える馬鹿な文化人も少なくないこの国で、それが実現するかどうかは予断を許さない状況だ。事件の推移を見守っていきたいと思う。
ソース: 揺れる対馬 「朝鮮通信使行列は中止だ」仏像問題で怒り
参考:「盗人猛々しい!」韓国の暴論、怒る対馬
関連エントリー:複雑な事情は華麗にスルー
通信使行列の再現パレードが同市の「厳原港まつり対馬アリラン祭」のメインイベントとして行われていることは当ブログでも以前触れたが、記事によると"島内には「まるで韓国の祭りだ」と反対の声もあったが、山本氏(同祭振興会長)らは「日韓友好のためだ」と説得" して強行していたことが暴露されており、こんな事件でもなければなかなか表には出てこなかった情報として興味深い。
しかし、そんな山本さんも最近は、「もう韓国という国に我慢ならん。今年も(通信使パレードを)やるというなら私は会長を降ります」 と発言しているらしい。
この発言には、通信使関連行事の氾濫に批判的な当ブログとしてもエールを送りたいところだが、「何があっても韓国には寛容であれ」などと唱える馬鹿な文化人も少なくないこの国で、それが実現するかどうかは予断を許さない状況だ。事件の推移を見守っていきたいと思う。
ソース: 揺れる対馬 「朝鮮通信使行列は中止だ」仏像問題で怒り
参考:「盗人猛々しい!」韓国の暴論、怒る対馬
関連エントリー:複雑な事情は華麗にスルー
2013/02/22
文化使節か平和の使者か 主催者の都合によって変幻自在の朝鮮通信使
2013年1月27日付けの中日新聞静岡県版に通信使絡みの記事を見つけたので突っ込んでみたい。
記事によると、静岡市で開かれる国連軍縮会議の先行イベントとして、朝鮮通信使の再現行列が開催されたそうで、李氏朝鮮の衣装と称する鮮やかなコスチュームを身につけた市民や在日韓国人たちが市内をパレードしたらしい。
ではなぜ国際軍縮会議のプレイベントに朝鮮の朝貢使節がノコノコ出て来たかというと、
"朝鮮通信使は平和を望む徳川家康の招きで日本を訪れ"
"江戸時代の約二百六十年間、日本と朝鮮半島が平和に交流を続けるきっかけになった"
という理由であるらしい。つまり「朝鮮通信使は平和の使者なので軍縮会議と関係が深いニダ」と言いたいようだ。
なんとなくムリヤリ感のある理由であり、歴史的にも不正確だが、このイベントを企画した団体にとっては、かつて朝鮮通信使が来日したことを――正確には「日本に先進の文化を伝えた偉人」という、妄想の中の朝鮮人使節をアピールすることが主目的であり、理由の正当性など二の次なのだろうと思われる。
通信使来貢400周年の頃は、「文化使節」として新聞に紹介されることの多かった通信使が、今回の軍縮会議では「平和使節」に変身しての再登場というわけだが、通信使の実像のひとつである「素行の悪い朝貢団」として登場することは未来永劫ないのだろう。
記事によると、静岡市で開かれる国連軍縮会議の先行イベントとして、朝鮮通信使の再現行列が開催されたそうで、李氏朝鮮の衣装と称する鮮やかなコスチュームを身につけた市民や在日韓国人たちが市内をパレードしたらしい。
ではなぜ国際軍縮会議のプレイベントに朝鮮の朝貢使節がノコノコ出て来たかというと、
"朝鮮通信使は平和を望む徳川家康の招きで日本を訪れ"
"江戸時代の約二百六十年間、日本と朝鮮半島が平和に交流を続けるきっかけになった"
という理由であるらしい。つまり「朝鮮通信使は平和の使者なので軍縮会議と関係が深いニダ」と言いたいようだ。
なんとなくムリヤリ感のある理由であり、歴史的にも不正確だが、このイベントを企画した団体にとっては、かつて朝鮮通信使が来日したことを――正確には「日本に先進の文化を伝えた偉人」という、妄想の中の朝鮮人使節をアピールすることが主目的であり、理由の正当性など二の次なのだろうと思われる。
通信使来貢400周年の頃は、「文化使節」として新聞に紹介されることの多かった通信使が、今回の軍縮会議では「平和使節」に変身しての再登場というわけだが、通信使の実像のひとつである「素行の悪い朝貢団」として登場することは未来永劫ないのだろう。
2012/08/06
複雑な事情は華麗にスルー
八月六日の西日本新聞に少し気になる通信使関係の記事を発見した。
タイトルは「歴史絵巻華やか朝鮮通信使再現」 という陳腐なもので、内容と言えば、朝鮮通信使ゆかりの地の対馬で通信使行列が行われたというだけのものだが、「先進の文化を伝えた」だの「日本文化に多大な影響を与えた」だのという噴飯モノの寝言が書いてないのは感心であるにしても、"李王朝が派遣した文化・外交使節団" などと解説してあるのはいただけない。
もちろん「朝貢使節」などと本当のことを書いてしまっては国内外のコリアンたちの反発が鬱陶しいという事情は推察できるが、せめて「外交団」くらいにしておけばよかった。わざわざ「文化・外交使節団」 と書くことで「江戸文化に多大な影響を与えたニダー」的なミスリードを誘う可能性もなくはないからだ。
それはともかく、気になったのはイベントの名称が「厳原港まつり対馬アリラン祭」 という奇妙なものになっていることである。
ひとつの名称の中に「まつり」と「祭」という同じ意味の文字が同居しているのはいかにも妙だが、これには事情があるらしい。
以前は「厳原港まつり」と呼ばれていたものが、親韓派のゴリ押しによって「対馬アリラン祭」に変更されたところ、地元の評判がすこぶる悪く、寄付の集まりや集客数が悪化したので、仕方なく「厳原港まつり対馬アリラン祭」というキチガイのような名称に再変更されたということらしい。
そのような裏事情を取材して書いたらさぞ面白い記事になりそうだが、もちろん西日本新聞は華麗にスルー。地方紙にはありがちなこととは言え、学校新聞の中学生記者でも書けそうな毒にも薬にもならないものを今日もせっせと書いている。
タイトルは「歴史絵巻華やか朝鮮通信使再現」 という陳腐なもので、内容と言えば、朝鮮通信使ゆかりの地の対馬で通信使行列が行われたというだけのものだが、「先進の文化を伝えた」だの「日本文化に多大な影響を与えた」だのという噴飯モノの寝言が書いてないのは感心であるにしても、"李王朝が派遣した文化・外交使節団" などと解説してあるのはいただけない。
もちろん「朝貢使節」などと本当のことを書いてしまっては国内外のコリアンたちの反発が鬱陶しいという事情は推察できるが、せめて「外交団」くらいにしておけばよかった。わざわざ「文化・外交使節団」 と書くことで「江戸文化に多大な影響を与えたニダー」的なミスリードを誘う可能性もなくはないからだ。
それはともかく、気になったのはイベントの名称が「厳原港まつり対馬アリラン祭」 という奇妙なものになっていることである。
ひとつの名称の中に「まつり」と「祭」という同じ意味の文字が同居しているのはいかにも妙だが、これには事情があるらしい。
以前は「厳原港まつり」と呼ばれていたものが、親韓派のゴリ押しによって「対馬アリラン祭」に変更されたところ、地元の評判がすこぶる悪く、寄付の集まりや集客数が悪化したので、仕方なく「厳原港まつり対馬アリラン祭」というキチガイのような名称に再変更されたということらしい。
そのような裏事情を取材して書いたらさぞ面白い記事になりそうだが、もちろん西日本新聞は華麗にスルー。地方紙にはありがちなこととは言え、学校新聞の中学生記者でも書けそうな毒にも薬にもならないものを今日もせっせと書いている。
2012/06/29
不人気イベント「朝鮮通信使行列再現」を市職員が必死で宣伝
今夏もまた山口県下関市で恒例の「しものせき馬関まつり」が開催される。
最大の呼び物はピーク時には5000人以上もの市民が参加したと言われる壮大な「平家総踊り」であるそうな。
この他にも人気の催物は数々あるが、平成16年からは市の主導で「朝鮮通信使行列再現」なる怪しいイベントが雑じり込むようになっている。
地元が朝鮮通信使の寄港地であったことに因んで始まったイベントのようだが、参加者を集める のに苦労しているらしく、今年は市職員が朝鮮通信使のコスプレで来庁者にチラシを配布するなどの涙ぐましい努力で参加を募っているとのことだ。
どうやら市ではこの行列を平家総踊りのような人気イベントに育てたい意向のようだが、その裏側に外国勢力の怪しい意図が働いていないか検証する必要がありそうだ。
また地元のBBSなどを覗いてみても「お邪魔虫イベント」「ゴキブリ行列」「鶏を盗むシーンも再現しろ」などと揶揄する書き込みも散見され、表立って反対する者こそいないものの、さほど一般市民からは歓迎されていないのが実情のようだ。
日本の祭の中に朝鮮風俗が紛れ込むことに違和感を持つ市民も多いのかもれない。
たかが朝鮮の朝貢使節の再現が、市にとってどれほどの意義があるのか知らないが、どうしてもやりたいのなら馬関まつりとは切り離して別の日に行ってもいいのではないだろうか。
最大の呼び物はピーク時には5000人以上もの市民が参加したと言われる壮大な「平家総踊り」であるそうな。
この他にも人気の催物は数々あるが、平成16年からは市の主導で「朝鮮通信使行列再現」なる怪しいイベントが雑じり込むようになっている。
地元が朝鮮通信使の寄港地であったことに因んで始まったイベントのようだが、参加者を集める のに苦労しているらしく、今年は市職員が朝鮮通信使のコスプレで来庁者にチラシを配布するなどの涙ぐましい努力で参加を募っているとのことだ。
どうやら市ではこの行列を平家総踊りのような人気イベントに育てたい意向のようだが、その裏側に外国勢力の怪しい意図が働いていないか検証する必要がありそうだ。
また地元のBBSなどを覗いてみても「お邪魔虫イベント」「ゴキブリ行列」「鶏を盗むシーンも再現しろ」などと揶揄する書き込みも散見され、表立って反対する者こそいないものの、さほど一般市民からは歓迎されていないのが実情のようだ。
日本の祭の中に朝鮮風俗が紛れ込むことに違和感を持つ市民も多いのかもれない。
たかが朝鮮の朝貢使節の再現が、市にとってどれほどの意義があるのか知らないが、どうしてもやりたいのなら馬関まつりとは切り離して別の日に行ってもいいのではないだろうか。
2011/11/23
江戸時代のコスプレ行列を再現する歴史絵巻
11月10日の埼玉新聞に通信使関連の記事を発見した。
埼玉県川越市でここ数年来 行われている「復活!唐人揃い-朝鮮通信使-多文化共生・国際交流パレード」 というイベントの紹介記事で、記事の内容にも少々突っ込み所があるのだが、今回は無視してイベントそのものに少し突っ込んでみたい。
そもそもこのイベント、全国に数ある通信使関連行事の中では少し毛色が変わっている。
主催者によると「唐人揃い」とは、朝鮮通信使を模倣した仮装行列のこ とであり、江戸時代に川越祭りの出し物のひとつとして行われていたそうである。
つまりこのイベントは通信使行列の再現ではなく「通信使行列を模倣した江戸時代の仮装行列を再現する」という、少々ややこしい構造を持っている。
ではなぜそんなものを復活させたのかというと…
――朝鮮通信使は文化交流や平和外交のシンボルである。故にそれを模倣した唐人揃いという出し物を多文化共生や国際交流の大切さを訴えるパレードとして復活させた――
実行委員会のサイトなどを見たところでは、大体こんなような趣旨だと思われるのだが、どこかすっきりしない言い分に感じるのは私だけだろうか。
そもそも根本的な問題として、江戸時代の唐人揃いなる出し物が、朝鮮通信使を模したものであったとする主催者側の主張が、かなり根拠薄弱なのである。
そうであったと書かれた文献などは存在しておらず、またあるサイトには、唐人揃いは朝鮮通信使ではなく、琉球使節を模した仮装行列であったと書かれているが、そちらの根拠には説得力があり、おそらくそれが真相なのではないかと思われる。
またYouTubeなどに上げられているパレードの動画を見た限りでは、多文化共生だの国際交流だのを謳っているわりには、通信使行列を筆頭にサムルノリだの朝鮮舞踊だのとコリアン系の団体が圧倒的に多く、申し訳程度に他の民族衣装を着た人々が雑じっているといった状態だ。
また「唐人揃いの再現」という趣旨の割には「国書交換式」まで行われており、これでは唐人揃いの再現ではなく朝鮮通信使の再現ではないかと突っ込みたくなる。
おそらくは、埼玉は通信使のルートから外れているため、それらに関する史跡は何もないが、それでも何か通信使関連の行事をやりたいと考えた人々が、かつて存在した唐人揃いというイベントを、朝鮮通信使の模倣だったと強弁したのではなかろうか。
在日の韓国朝鮮系の人々は、朝鮮通信使が日本に多くの価値ある文化を伝え、多大な影響を及ぼしたと信じている人が多く、かつそれを日本人に誇示したいという気持ちが強いのだ。そのせいで通信使関連イベントの開催にも非常に熱心な傾向がある。
またイベントの後援団体として、韓国文化院だの民団だの総連だのが名を連ねていることから見ると、本国の意思も大きく関与したイベントであると言えそうだ。要警戒である。
埼玉県川越市でここ数年来 行われている「復活!唐人揃い-朝鮮通信使-多文化共生・国際交流パレード」 というイベントの紹介記事で、記事の内容にも少々突っ込み所があるのだが、今回は無視してイベントそのものに少し突っ込んでみたい。
そもそもこのイベント、全国に数ある通信使関連行事の中では少し毛色が変わっている。
主催者によると「唐人揃い」とは、朝鮮通信使を模倣した仮装行列のこ とであり、江戸時代に川越祭りの出し物のひとつとして行われていたそうである。
つまりこのイベントは通信使行列の再現ではなく「通信使行列を模倣した江戸時代の仮装行列を再現する」という、少々ややこしい構造を持っている。
ではなぜそんなものを復活させたのかというと…
――朝鮮通信使は文化交流や平和外交のシンボルである。故にそれを模倣した唐人揃いという出し物を多文化共生や国際交流の大切さを訴えるパレードとして復活させた――
実行委員会のサイトなどを見たところでは、大体こんなような趣旨だと思われるのだが、どこかすっきりしない言い分に感じるのは私だけだろうか。
そもそも根本的な問題として、江戸時代の唐人揃いなる出し物が、朝鮮通信使を模したものであったとする主催者側の主張が、かなり根拠薄弱なのである。
そうであったと書かれた文献などは存在しておらず、またあるサイトには、唐人揃いは朝鮮通信使ではなく、琉球使節を模した仮装行列であったと書かれているが、そちらの根拠には説得力があり、おそらくそれが真相なのではないかと思われる。
またYouTubeなどに上げられているパレードの動画を見た限りでは、多文化共生だの国際交流だのを謳っているわりには、通信使行列を筆頭にサムルノリだの朝鮮舞踊だのとコリアン系の団体が圧倒的に多く、申し訳程度に他の民族衣装を着た人々が雑じっているといった状態だ。
また「唐人揃いの再現」という趣旨の割には「国書交換式」まで行われており、これでは唐人揃いの再現ではなく朝鮮通信使の再現ではないかと突っ込みたくなる。
おそらくは、埼玉は通信使のルートから外れているため、それらに関する史跡は何もないが、それでも何か通信使関連の行事をやりたいと考えた人々が、かつて存在した唐人揃いというイベントを、朝鮮通信使の模倣だったと強弁したのではなかろうか。
在日の韓国朝鮮系の人々は、朝鮮通信使が日本に多くの価値ある文化を伝え、多大な影響を及ぼしたと信じている人が多く、かつそれを日本人に誇示したいという気持ちが強いのだ。そのせいで通信使関連イベントの開催にも非常に熱心な傾向がある。
またイベントの後援団体として、韓国文化院だの民団だの総連だのが名を連ねていることから見ると、本国の意思も大きく関与したイベントであると言えそうだ。要警戒である。
2011/02/07
通信使のコスプレで韓国人を歓迎
今回は2011年1月24日の埼玉新聞に載った『韓国教職員29人が来校 さいたま・慈恩寺中』という記事をとり上げる。
内容はタイトルから推察できるように、大して益もないであろう韓国との交流事業で、韓国の教師が日本の中学校を視察に訪れたというだけの記事である。
その韓国人教師たちを歓迎するため、慈恩寺中の生徒たちが朝鮮人のコスプレをして通信使行列を再現して見せ、教師たちも大いに喜んだとのことだが、残念ながら鶏泥棒のシーンまでは再現しなかったようだ。
それはともかく、外国人を歓迎するのなら、日本情緒を感じさせるセレモニーで歓迎するのが普通だと思うが、なぜかこの場合は日本人が朝鮮人のコスプレで朝鮮人を歓迎するという、考えてみれば奇妙な状況となっている。
まあ、そのあたりが現在の日韓関係の捻れ具合を象徴していると言えなくもないのだが。
内容はタイトルから推察できるように、大して益もないであろう韓国との交流事業で、韓国の教師が日本の中学校を視察に訪れたというだけの記事である。
その韓国人教師たちを歓迎するため、慈恩寺中の生徒たちが朝鮮人のコスプレをして通信使行列を再現して見せ、教師たちも大いに喜んだとのことだが、残念ながら鶏泥棒のシーンまでは再現しなかったようだ。
それはともかく、外国人を歓迎するのなら、日本情緒を感じさせるセレモニーで歓迎するのが普通だと思うが、なぜかこの場合は日本人が朝鮮人のコスプレで朝鮮人を歓迎するという、考えてみれば奇妙な状況となっている。
まあ、そのあたりが現在の日韓関係の捻れ具合を象徴していると言えなくもないのだが。
2010/02/05
小さな通信使行列が田舎町を行進
2010年1月31日の西日本新聞Web版に「日韓友好の歴史 歩いてPR 福津市 市民団体韓国衣装まとい」と題された小さな記事を発見した。
福岡県の福津市という町で「福津・慶州文化親善交流会」と名乗る市民団体が30日、朝鮮通信使が同市に宿泊した史実を広報するため、韓国の民族衣装を着て市内を練り歩くイベントを行ったと記事は言う。
記録によると、同市沖合いに浮かぶ相島という小島に朝鮮通信使が数回宿泊したことがあるそうで、同団体は昨年3月にも、この史実を記した石碑を島の対岸に設置するなどの活動を行っているらしい。
この日は、チマ・チョゴリなどを着た同会メンバーと関係者計15人が、韓国の楽器を鳴らしながら某所から石碑までの約2キロを練り歩き、市民たちに通信使来訪の史実をアピールしたとのことである。
だからなんなの…という感じはするが、田舎の街道をたった15人の通信使行列が行進する侘しい様を想像すると、あまり意地悪なことを書く気にもなれない。また突っ込みを入れたくなるような大嘘や誇張も記事内には見当たらなかった。
通信使来貢400周年記念の頃と比べると「先進文化を日本に伝えた」的な嘘を書くアホ記者もめっきり減っているようで結構なことであるが、せっかくなので一応突っ込みを入れておく。
記事には"日韓両国の平和外交を象徴するこの史実を記した石碑" と あるが、朝鮮通信使という名の朝貢使派遣のどこが「平和外交を象徴する史実」なのか。
朝貢とは下位国が上位国に貢物をして恭順の意を示すことであり、軍事力を背景にした恫喝がその裏にある。秀吉の軍勢にボロボロにされた李氏朝鮮にとって日本は脅威だったのだ。
対等な平和外交なら日本からも朝鮮王の就任を祝って使節を送らなければならないが、そんな事実は存在しない。また通信使たちを福岡城下ではなく沖合いに浮かぶ小島に宿泊させたことを「隔離」と捉える見方もあるようだ。
相島は中国大陸と九州を結ぶ航路の要衝にあたり、豊臣秀吉旗下の武将たちが朝鮮征伐に向かう途中立ち寄り、島の観音像に戦勝を祈願したことでも有名で、現在も「太閤潮井の石」という史跡が残っているそうである。
記事によると件の市民団体はこの島を「通信使の島」と定義付けたいようだが、通信使来訪などという些細な歴史上の一エピソードでもって、相島の歴史を矮小化することには反対だ。相島は「朝鮮征伐勝利祈願の島」でもあるのだから。
福岡県の福津市という町で「福津・慶州文化親善交流会」と名乗る市民団体が30日、朝鮮通信使が同市に宿泊した史実を広報するため、韓国の民族衣装を着て市内を練り歩くイベントを行ったと記事は言う。
記録によると、同市沖合いに浮かぶ相島という小島に朝鮮通信使が数回宿泊したことがあるそうで、同団体は昨年3月にも、この史実を記した石碑を島の対岸に設置するなどの活動を行っているらしい。
この日は、チマ・チョゴリなどを着た同会メンバーと関係者計15人が、韓国の楽器を鳴らしながら某所から石碑までの約2キロを練り歩き、市民たちに通信使来訪の史実をアピールしたとのことである。
だからなんなの…という感じはするが、田舎の街道をたった15人の通信使行列が行進する侘しい様を想像すると、あまり意地悪なことを書く気にもなれない。また突っ込みを入れたくなるような大嘘や誇張も記事内には見当たらなかった。
通信使来貢400周年記念の頃と比べると「先進文化を日本に伝えた」的な嘘を書くアホ記者もめっきり減っているようで結構なことであるが、せっかくなので一応突っ込みを入れておく。
記事には"日韓両国の平和外交を象徴するこの史実を記した石碑" と あるが、朝鮮通信使という名の朝貢使派遣のどこが「平和外交を象徴する史実」なのか。
朝貢とは下位国が上位国に貢物をして恭順の意を示すことであり、軍事力を背景にした恫喝がその裏にある。秀吉の軍勢にボロボロにされた李氏朝鮮にとって日本は脅威だったのだ。
対等な平和外交なら日本からも朝鮮王の就任を祝って使節を送らなければならないが、そんな事実は存在しない。また通信使たちを福岡城下ではなく沖合いに浮かぶ小島に宿泊させたことを「隔離」と捉える見方もあるようだ。
相島は中国大陸と九州を結ぶ航路の要衝にあたり、豊臣秀吉旗下の武将たちが朝鮮征伐に向かう途中立ち寄り、島の観音像に戦勝を祈願したことでも有名で、現在も「太閤潮井の石」という史跡が残っているそうである。
記事によると件の市民団体はこの島を「通信使の島」と定義付けたいようだが、通信使来訪などという些細な歴史上の一エピソードでもって、相島の歴史を矮小化することには反対だ。相島は「朝鮮征伐勝利祈願の島」でもあるのだから。
2008/12/31
過大評価進む朝鮮通信使
今の韓国人たちは、朝鮮通信使が国賓だったと思い込んでいる。しかし江戸の人たちは、通信使が朝貢使節であり、オランダ商館長よりも格下だったことを知っていた。
ざわめく沿道の人々の中を、珍妙な衣装に身を包んだ数百人の朝鮮人たちが進む。入浴の習慣がないので異臭が周囲に漂っている。素行の悪い彼らによる周辺住民とのトラブルを恐れ、警護の侍たちもピリピリしている。
一方、オランダ商館長の一行はわずかに4~6人、役人たちに手厚く警護されながら、気ままに江戸の町を散策する。決定的な違いは、江戸城における徳川将軍との接見のありようである。
その一挙手一投足までもが厳格に規定され、遠く離れた場所から将軍に平伏させられる通信使たちに比べ、オランダ商館長の謁見は簡略化されて気楽なものである。商館長は将軍の前に出ると、西洋の事情などについて質問を受けることもあったようだ。
江戸時代において外国人は珍しく、たとえ弱小国から来た朝貢使節に過ぎない朝鮮通信使であっても、庶民たちにとっては大人気の見世物であった。庶民が気安く近づいて墨跡などをもらうことも出来たようで、このことからも国賓という扱いではなかったことが見てとれる。
江戸という時代は日本と半島における交流史の中でもひときわ疎遠な時代だったと言えそうである。なにしろ通信使たちは徳川250年の歴史の中でたった十二回しか来ておらず、両国の貿易窓口も対馬藩だけに限定されていた。
その間、両国にこれといった波風が立たなかったのは、通信使による交流があったからではなく、疎遠であったからこそであるというのが正解だろう。朝鮮半島に深く関わるとろくなことがないのは歴史が教えるところである。
最近になって、韓国は朝鮮通信使の過大評価の動きをますます加速させているようだ。お世辞にも素行がよいとは言えず、文化的にも文明的にも遙かに劣る国から来た朝鮮通信使を、まるで日本の文化発展に多大な貢献をした大恩人であるかのように歪曲しているばかりか、"明治政府によって通信使の偉大な事跡が消去され、教育の場で歪曲された" などと妄想し、噴飯物のデタラメ記事を載せる新聞まで現れた。
韓国メディアが通信使を礼賛すればするほど、それを評価しない日本に対する韓国人の憎悪は高まっていくだろう。厄介なことである。
※基本的にはこちらの妄想記事のパロディとして書かれたものなので、史実としては多少不正確な部分があることをお断りしておきます。
ざわめく沿道の人々の中を、珍妙な衣装に身を包んだ数百人の朝鮮人たちが進む。入浴の習慣がないので異臭が周囲に漂っている。素行の悪い彼らによる周辺住民とのトラブルを恐れ、警護の侍たちもピリピリしている。
一方、オランダ商館長の一行はわずかに4~6人、役人たちに手厚く警護されながら、気ままに江戸の町を散策する。決定的な違いは、江戸城における徳川将軍との接見のありようである。
その一挙手一投足までもが厳格に規定され、遠く離れた場所から将軍に平伏させられる通信使たちに比べ、オランダ商館長の謁見は簡略化されて気楽なものである。商館長は将軍の前に出ると、西洋の事情などについて質問を受けることもあったようだ。
江戸時代において外国人は珍しく、たとえ弱小国から来た朝貢使節に過ぎない朝鮮通信使であっても、庶民たちにとっては大人気の見世物であった。庶民が気安く近づいて墨跡などをもらうことも出来たようで、このことからも国賓という扱いではなかったことが見てとれる。
江戸という時代は日本と半島における交流史の中でもひときわ疎遠な時代だったと言えそうである。なにしろ通信使たちは徳川250年の歴史の中でたった十二回しか来ておらず、両国の貿易窓口も対馬藩だけに限定されていた。
その間、両国にこれといった波風が立たなかったのは、通信使による交流があったからではなく、疎遠であったからこそであるというのが正解だろう。朝鮮半島に深く関わるとろくなことがないのは歴史が教えるところである。
最近になって、韓国は朝鮮通信使の過大評価の動きをますます加速させているようだ。お世辞にも素行がよいとは言えず、文化的にも文明的にも遙かに劣る国から来た朝鮮通信使を、まるで日本の文化発展に多大な貢献をした大恩人であるかのように歪曲しているばかりか、"明治政府によって通信使の偉大な事跡が消去され、教育の場で歪曲された" などと妄想し、噴飯物のデタラメ記事を載せる新聞まで現れた。
韓国メディアが通信使を礼賛すればするほど、それを評価しない日本に対する韓国人の憎悪は高まっていくだろう。厄介なことである。
※基本的にはこちらの妄想記事のパロディとして書かれたものなので、史実としては多少不正確な部分があることをお断りしておきます。
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