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2014/01/18

朝鮮通信使は朝貢使節ではない?

2013年05月17日の毎日新聞に朝鮮通信使に関するエッセイが載っていたので弄ってみたい。

「秀吉後の日本は朝鮮通信使で関係改善。日朝・日韓も『戦争は罪悪』の観点で関係改善を」という長いタイトルだが、筆者は歴史の専門家ではなく、市立中学の民族学級講師という職歴を持つ在日のNGO職員であるらしい。

朝鮮通信使と縁の深い地方を訪ねた筆者が、通信使と日本の関係に思いを馳せながら、現代の日韓・日朝関係を語るといった構成になっている。

ちなみにこのエッセイ、突っ込み所や違和感のある部分が非常に多いのだが、すべてを指摘していてはキリが無いので、とりあえず代表的部分だけを取り上げて論じてみたい。以下引用。

"この一行を日本への朝貢使節団だと捉えている人がいるが、それはまったくの誤解で、通信使の接待は幕府、沿道の藩が国家的行事としてとり行ない、その経費捻出のため庶民に増税が課せられた。 いずれも徳川将軍が大君、日本国王として丁重に対応している。"

筆者は「朝鮮通信使を朝貢使節と捉えるのはまったくの誤解である」と書いているが、なぜ「まったくの誤解」なのか根拠が "まったく" 示されていない。

もしかして「増税してまで豪華に接待し、将軍が丁寧に対応したのだから朝貢使節ではない」と言いたいのかもしれないが、そんなことは「まったく」根拠にはならない。

朝貢使だろうが冊封使だろうが、他国からの正式な使者であれば丁寧に接するのは当たり前。また当時の外交は見栄の張り合いという側面もあり、接待も豪華なものになりがちだ。さらに言えば天下の将軍様のゲストなのだから、各藩としても粗略に扱えるわけがない。

ちなみに国内の旅費は日本側の負担だが、大使節団を組んで日本に渡航するまでの経費は朝鮮側の負担である。朝貢であろうとなかろうと、多大な費用を費やして遠路はるばるやってきた客人であることも考慮に入れるべきだろう。

この半島系のNGO職員氏は、贈り物を山ほど抱えて遠路はるばるやってきた客であっても、朝貢使のような立場が下の者なら粗略に扱ってもいいと考えているのだろうか。朝鮮儒教ではそれでOKなのかもしれないが、日本には今も昔もそんな無慈悲な思想は存在しない。

ただし、各藩から丁寧に扱われたとは言っても、大勢の一般庶民が二階の窓から通信使行列を見下ろしている絵などが残っており、相手が大名行列なら決してそんなことは許されないことから、少なくとも大名以下の扱いであったと推測できる。

またかの有名な「ニワトリ泥棒の絵」にあるように、沿道の住民とトラブルを起こして百姓町人からボコボコにされることもあったが、警護の侍たちは見て見ぬふりをしていたという文献も残っている。

これ以外にも、朝鮮通信使が朝貢使節に準ずる低い立場であったことを示す資料は多く、また大名に謁見する場合などと比べて、将軍がことさら通信使には「丁寧」だったという資料は見たことがない。あるなら教えて欲しいものだ。

なお冒頭にも書いたように、このエッセイには他にも首をひねりたくなる部分が多いのだが、おそらく理由は、韓国の歴史観を基に書かれているせいだと思われる。

「歴史は日本では学問だが、中国では政治であり、韓国ではファンタジーである」などとよく揶揄されるが、この筆者も韓国のファンタジー教科書で朝鮮通信使について学んだのに違いない。「いったい何を根拠にそんなことを書いているのか」と疑問に思う部分が多いのはそのせいだろう。

毎日新聞もファンタジーを元に歴史を語るエッセイなど載せてもらっては困りますね。

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