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2013/07/26
毎日新聞が対馬の朝鮮通信使イベントの中止を遠回しに批判
毎日新聞2013年07月16日付けの紙面に、対馬の朝鮮通信使行列のイベントが中止された例の問題についての長い記事を発見した。
記事全般については「中止は遺憾である」というトーンが濃厚でバランスを欠いた印象を受けた。
例えば、"中止決定は韓国側に相談せず、主催する日本側の判断で決めた" などと余計なことが書かれており「勝手に中止するな」と言わんばかりの言い草だ。
また通信使行列への参加を予定していた韓国の高校生について"生徒たちは昨年の冬から準備してきた。中止が決まって動揺し、がっかりしている" などと書いているが、このように子供を持ち出してオトナを糾弾する手法はいかにもサヨク的でイヤらしい。
また対馬住民に取材した中から、通信使行列の中止を残念がる意見ばかりを取り上げ、多数派である中止賛成派の意見は存在しないかのような扱いだ。しかも仏像を強奪された檀家たちの憤懣やるかたない気持ちには毛ほども触れようとはしない。
要するに「日韓の文化交流はどんな犠牲を払ってでもやるべき」とでも言いたいのだろうか。交流至上主義とでも言えそうな冷酷で知能の低い糞記事である。
ついでにおかしな部分を見つけたので突っ込んでおきたい。
通信使イベントの韓国側関係者が"朝鮮通信使の『誠信交隣』(互いに欺かず争わず、真実をもって交わる)の精神で交流を続け、解決方法を探した方が良かったのでは" などと発言したと書いてあるのだ。
妙なことを言うものである。どうやらこの韓国人は朝鮮通信たちが"誠信交隣"の精神で交流していたと考えているようだ。
しかし、誠信交隣とは対馬藩に仕えた雨森芳洲という儒学者が、対朝鮮外交の心得として掲げたスローガンに過ぎず、実際に通信使たちが交流の場でそれを実践していたわけではないのである。
以前の記事にも書いたように、朝鮮通信使の来貢は嘘と欺瞞の上に成り立っていた。
そもそも、日本の発展を羨んで憎悪し、宿の女中を強姦し、隙を見ては漆器や夜具を盗み、鶏を盗んで町人と喧嘩するキチガイ土人たちのどこに「誠信交隣」の精神があったというのだろうか。
寝言は寝て言えとその韓国人に言ってやりたいところである。
ソース:http://mainichi.jp/select/news/20130716ddm004070022000c.html
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