2015/06/02

産経よ、おまえもか

2015年3月28日付けの産経新聞の広島県版に気になる記事を発見したので俎上に乗せてみたい。

"福山市教委、「鯛しばり網漁法」を市無形文化財に指定"というタイトルで、広島県福山市の文化行政についてのつまらない記事なのだが、その中に朝鮮通信使に関する気になる一文が含まれていた。

以下に引用する。
"福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係史料は、江戸時代に朝鮮通信使の宿泊地として使用された福禅寺にあり、当時、同寺は通信使一行と日本の学者たちの交流の場として、国の文化に多くの影響を与えたとされる。"
多大な影響キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

思えば朝鮮通信使来貢400周年に当たる2007年前後には、多くの新聞が「日本文化に多大な影響を与えた」的な嘘を平然と書いて通信使を持ち上げていたが、読者からのツッコミが相次いだのか、しばらくするとそのようなデタラメな記述は影を潜めたものである。

ところがである。あれから8年も経った今頃になって、しかも韓国から「極右新聞」と呼ばれて憎悪され、ソウル支局長を長期間出国禁止にされるという嫌がらせまで受けてた産経が、かつての朝日新聞のような「多大な影響説」を唱えて通信使をヨイショしているのだから驚きだ。

ただしこの記事の場合、「通信使が影響を与えた」ではなく、日韓の文化交流の場となった福禅寺が「国の文化に大きな影響を与えたとされる」となっており、なんだか微妙な書き方である。

多くのメディアが朝鮮通信使を過剰に持ち上げる一因には、隣国や国内マイノリティに対する「過剰な配慮」があるのだろうが、今回の産経のヨイショ記事は、通信使に関連した史跡を多く持ち、それらを観光資源として活用したい思惑のある広島県に、産経新聞広島支局が配慮した結果であるのかもしれない。

2014/10/14

三重県の唐人おどりと朝鮮通信使

2014年10月11日付けの産経新聞に、朝鮮通信使に絡んだ気になる記事を発見した。

「『花子とアン』出演の・・・以下略」と題されたその記事は、女優の高梨臨が三重県津市で開かれる恒例の「津まつり」にゲスト出演するというだけのつまらないヒマネタだ。

ただ気になったのは、「津まつり」の出し物のひとつである「唐人おどり」について"朝鮮通信使に影響を受けた"と書かれていることで、こりゃまた随分と怪しい説を堂々と書いたものだと呆れてしまう。

そもそも三重県津市の「唐人おどり」は「朝鮮通信使を起源とする」とか「朝鮮通信使を真似た」などとメディアで紹介されることも多いが、これは完全な間違いである。

津市の唐人おどりの起源は、スペイン人やポルトガル人の衣装を真似たコスプレ行列だったのだ。唐人おどりの衣装を地元では「ロッペ」と呼ぶが、これは「服」を表すポルトガル語「roupa」もしくはスペイン語「ropas」から来ていることは明白で、「通信使起源説」を否定する有力な証拠となっている。

詳しくは:http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/roppe.htm

しかし、当初は南蛮風だったそのコスプレ行列も、時代が下るにつれて大陸風の幟や打楽器などが加わるようになり、何だかよくわからない独特の踊りも生まれて、現在の形になったというのが真相であるらしい。

確かに、大陸風の小道具や不思議な踊りが加わる過程で、朝鮮通信使の影響を受けた可能性はあるが、そうであるという確定的証拠は存在せず、「琉球使節」に影響を受けた可能性や「長崎の唐人屋敷」での見聞が影響している可能性も否定できない。

また、そもそもの話として「何かの影響で生まれた」という前提を疑ってみる必要はないだろうか。あの他に類例を見ないユニークな踊りが、地元の人々によって創作された完全なオリジナルである可能性を否定することは、現段階では誰にもできないのだ。

それらを考え合わせると、信憑性に乏しく異説も多い「○○の影響」といった部分は排除して、西洋人の衣装を真似たコスプレ行列が起源であるとだけ解説するのが適切だろう。

まして「朝鮮通信使の影響を受けた」などと断定するのはデタラメと言われても仕方があるまい。

ソース:http://www.sankei.com/region/news/141010/rgn1410100028-n1.html

2014/06/22

ZAKZAKが朝鮮通信使の過大評価を批判

夕刊紙系のニュースサイト「ZAKZAK」が朝鮮通信使について言及しているので紹介したい。

八幡和郎という評論家が書いた【日韓の深層】という連載で、最近流行りの韓国批判の記事なのだが、著者本人が「親韓派」を自称しているだけに、批判が生温くて爽快感に欠ける。

それはともかく、今回注目したのは以下の部分である。

"それから、江戸時代の日朝関係への間違ったとらえ方も、困りものだ。

李王朝から将軍交代の祝賀に訪れていた朝鮮通信使は「ある種の朝貢使節」というのが、日本側の認識である。「対等の関係だった」という指摘は、近代日本の外交をそれと対比して貶めるための虚構だし、何十年に一度の一方的遣使だけの交流が、平和で実りある善隣友好関係というのは笑止千万だ。

皇室や近代日本を貶めたい勢力は、思わぬ所に地雷を埋め込んでくるので警戒したいものだ。"

特に赤で示した部分は至言である。嬉々として通信使行列などをやりたがる自治体関係者や、それを伝える報道関係者は、この言葉をよく胆に銘じろと言っておきたい。

ただしかし、文中にある

"「対等の関係だった」という指摘は、近代日本の外交をそれと対比して貶めるための虚構"

という部分は初めて聞いた解釈だが、まったくピンと来ない。そもそも韓国側は「対等」どころか通信使の方が「上位」だったと考えている。

韓国の教科書には「江戸時代の日本に先進の文物を教えてあげた」と書いてあるくらいで、「朝鮮通信使は未開な日本民族を教化するために派遣されたインテリ集団であり、日本人たちは崇め奉って大歓迎したのだ」などと妄想している馬鹿が韓国では多数派なのだ。

韓国側はそのことを唯々誇示したいだけであり、「近代日本の外交を貶める」などいう深謀遠慮があるわけではないだろう。

以上はほんの一例で、どうもこの【日韓の深層】という連載には突っ込みたくなる箇所が多すぎる。韓国批判に見せかけた擁韓記事ではないかという疑いすら感じてしまう。

しかし、これまで通信使関連のイベントを批判的に論じていたのは、個人ブログやチャンネル桜くらいなもので、ZAKZAKのようなメジャーなサイトが"笑止千万"とまで言い放ったのは、それなりに画期的な出来事だったと言えそうだ。

ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140601/frn1406010830003-n1.htm

2014/01/18

朝鮮通信使は朝貢使節ではない?

2013年05月17日の毎日新聞に朝鮮通信使に関するエッセイが載っていたので弄ってみたい。

「秀吉後の日本は朝鮮通信使で関係改善。日朝・日韓も『戦争は罪悪』の観点で関係改善を」という長いタイトルだが、筆者は歴史の専門家ではなく、市立中学の民族学級講師という職歴を持つ在日のNGO職員であるらしい。

朝鮮通信使と縁の深い地方を訪ねた筆者が、通信使と日本の関係に思いを馳せながら、現代の日韓・日朝関係を語るといった構成になっている。

ちなみにこのエッセイ、突っ込み所や違和感のある部分が非常に多いのだが、すべてを指摘していてはキリが無いので、とりあえず代表的部分だけを取り上げて論じてみたい。以下引用。

"この一行を日本への朝貢使節団だと捉えている人がいるが、それはまったくの誤解で、通信使の接待は幕府、沿道の藩が国家的行事としてとり行ない、その経費捻出のため庶民に増税が課せられた。 いずれも徳川将軍が大君、日本国王として丁重に対応している。"

筆者は「朝鮮通信使を朝貢使節と捉えるのはまったくの誤解である」と書いているが、なぜ「まったくの誤解」なのか根拠が "まったく" 示されていない。

もしかして「増税してまで豪華に接待し、将軍が丁寧に対応したのだから朝貢使節ではない」と言いたいのかもしれないが、そんなことは「まったく」根拠にはならない。

朝貢使だろうが冊封使だろうが、他国からの正式な使者であれば丁寧に接するのは当たり前。また当時の外交は見栄の張り合いという側面もあり、接待も豪華なものになりがちだ。さらに言えば天下の将軍様のゲストなのだから、各藩としても粗略に扱えるわけがない。

ちなみに国内の旅費は日本側の負担だが、大使節団を組んで日本に渡航するまでの経費は朝鮮側の負担である。朝貢であろうとなかろうと、多大な費用を費やして遠路はるばるやってきた客人であることも考慮に入れるべきだろう。

この半島系のNGO職員氏は、贈り物を山ほど抱えて遠路はるばるやってきた客であっても、朝貢使のような立場が下の者なら粗略に扱ってもいいと考えているのだろうか。朝鮮儒教ではそれでOKなのかもしれないが、日本には今も昔もそんな無慈悲な思想は存在しない。

ただし、各藩から丁寧に扱われたとは言っても、大勢の一般庶民が二階の窓から通信使行列を見下ろしている絵などが残っており、相手が大名行列なら決してそんなことは許されないことから、少なくとも大名以下の扱いであったと推測できる。

またかの有名な「ニワトリ泥棒の絵」にあるように、沿道の住民とトラブルを起こして百姓町人からボコボコにされることもあったが、警護の侍たちは見て見ぬふりをしていたという文献も残っている。

これ以外にも、朝鮮通信使が朝貢使節に準ずる低い立場であったことを示す資料は多く、また大名に謁見する場合などと比べて、将軍がことさら通信使には「丁寧」だったという資料は見たことがない。あるなら教えて欲しいものだ。

なお冒頭にも書いたように、このエッセイには他にも首をひねりたくなる部分が多いのだが、おそらく理由は、韓国の歴史観を基に書かれているせいだと思われる。

「歴史は日本では学問だが、中国では政治であり、韓国ではファンタジーである」などとよく揶揄されるが、この筆者も韓国のファンタジー教科書で朝鮮通信使について学んだのに違いない。「いったい何を根拠にそんなことを書いているのか」と疑問に思う部分が多いのはそのせいだろう。

毎日新聞もファンタジーを元に歴史を語るエッセイなど載せてもらっては困りますね。

2013/10/27

デタラメな朝鮮通信使再現行列を伝える杜撰なデタラメ記事

2013年10月21日の中国新聞に通信使関連の記事が載っていたので少し突っ込んでみたい。

"衣装鮮やか 通信使再現行列" というタイトルで、毎度おなじみ「友好」だの「交流」などと空疎な美辞麗句をちりばめた朝鮮通信使イベントの紹介記事であるようだ。

行列が行われたのは広島県呉市の下蒲刈島と記事にはあるが、下蒲刈島は通信使船の寄港地に過ぎなかったので、実際には江戸時代に通信使行列など行われなかったと思われる。

しかし記事はそのあたりの背景には触れず、あたかも江戸時代の下蒲刈島で朝鮮通信使行列がにぎにぎしく行われたかのような誤解を与える内容となっている。

また"島内外の住民たち約290人がチマ・チョゴリなど鮮やかな民族衣装をまとい参加" とあるが、朝鮮通信使に女性など参加していなかったのだから、チマを身につけた参加者がいるのは妙である。

そう思って記事に添えられた写真を見ると、チマ・チョゴリを着た女性だけでなく、現代風の改良韓服を着た一団やサムルノリの楽隊まで参加しており、これでは通信使行列と言うよりも、単なる韓国人行列になってしまっている。

にも関わらず記事は「通信使行列の再現」 だの「華麗な歴史絵巻」 だのと書き立てている。デタラメにも程があろうというものだ。

ソース:http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201310210017.html

2013/08/09

韓国人歴史学者が大統領の面前でキチガイ発言

2013年8月8日の朝鮮日報に噴飯モノの記事が載っていたので紹介しよう。

韓国系の新聞は突っ込みどころが多すぎて捌き切れないので、このブログでは扱わない方針であると以前書いた記憶があるが、今回は大統領の面前での発言というところが興味深く、また分量も少ないので取り上げてみることにした。

で、その記事によると韓国のパク・クネ大統領が、国内の人文学界の代表者13人を大統領府に招き、韓国の文化政策などについて意見を求めたそうである。

その席上、大統領は「小さな国が数々の侵略を受けながらも粘り強く5000年の歴史を築けたのは、人文学的な文化の力によるもの。根本的な私たちの魂を形作っている歴史について『誰が正しい、間違っている』という風に分裂し始めれば、どんな努力をしても国民統合は実現できない」 と指摘したという。

つまり既存の歴史観について討論してはいけないという言論封殺宣言だろうか。どうやらそうとしか解釈できないのだが、そんなことでは韓国の歴史学は退歩するばかりだろう。

そもそも韓国に5000年の歴史があるなどという事実無根な妄想を、一国の大統領が真顔で言い放つようでは、すでに韓国の歴史学は死んでいると言っても過言ではあるまい。

さらに同じ席上、史学者のソン・スンチョル教授は、

「通信使は必ず音楽を演奏する楽工や文化・歴史・哲学の大家を伴っており、日本人の好戦的で偏狭な部分を音楽や人文学で純化し、変化をもたらした」 と述べたそうである。

なんという衝撃の新事実!! 驚くべき影響力!

我々の隣国は妄想に取り憑かれたキチガイたちによって運営されているようだ。

ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130808-00001283-chosun-kr

2013/07/26

毎日新聞が対馬の朝鮮通信使イベントの中止を遠回しに批判


毎日新聞2013年07月16日付けの紙面に、対馬の朝鮮通信使行列のイベントが中止された例の問題についての長い記事を発見した。

記事全般については「中止は遺憾である」というトーンが濃厚でバランスを欠いた印象を受けた。

例えば、"中止決定は韓国側に相談せず、主催する日本側の判断で決めた" などと余計なことが書かれており「勝手に中止するな」と言わんばかりの言い草だ。

また通信使行列への参加を予定していた韓国の高校生について"生徒たちは昨年の冬から準備してきた。中止が決まって動揺し、がっかりしている" などと書いているが、このように子供を持ち出してオトナを糾弾する手法はいかにもサヨク的でイヤらしい。

また対馬住民に取材した中から、通信使行列の中止を残念がる意見ばかりを取り上げ、多数派である中止賛成派の意見は存在しないかのような扱いだ。しかも仏像を強奪された檀家たちの憤懣やるかたない気持ちには毛ほども触れようとはしない。

要するに「日韓の文化交流はどんな犠牲を払ってでもやるべき」とでも言いたいのだろうか。交流至上主義とでも言えそうな冷酷で知能の低い糞記事である。

ついでにおかしな部分を見つけたので突っ込んでおきたい。

通信使イベントの韓国側関係者が"朝鮮通信使の『誠信交隣』(互いに欺かず争わず、真実をもって交わる)の精神で交流を続け、解決方法を探した方が良かったのでは" などと発言したと書いてあるのだ。

妙なことを言うものである。どうやらこの韓国人は朝鮮通信たちが"誠信交隣"の精神で交流していたと考えているようだ。

しかし、誠信交隣とは対馬藩に仕えた雨森芳洲という儒学者が、対朝鮮外交の心得として掲げたスローガンに過ぎず、実際に通信使たちが交流の場でそれを実践していたわけではないのである。

以前の記事にも書いたように、朝鮮通信使の来貢は嘘と欺瞞の上に成り立っていた。

そもそも、日本の発展を羨んで憎悪し、宿の女中を強姦し、隙を見ては漆器や夜具を盗み、鶏を盗んで町人と喧嘩するキチガイ土人たちのどこに「誠信交隣」の精神があったというのだろうか。

寝言は寝て言えとその韓国人に言ってやりたいところである。

ソース:http://mainichi.jp/select/news/20130716ddm004070022000c.html

2013/05/13

仏像盗難に怒り心頭の対馬が朝鮮通信使行列の中止をついに正式決定

韓国の歴史捏造とも関係の深い朝鮮通信使イベントを、批判的に扱ってきた当ブログとしては、今回の判断は不幸中の幸いと言うべきか。まあ喜ばしいニュースとは言えそうです。

「日韓友好」を金科玉条のように扱う稚拙な日本の言論空間の影響下にあって、果たして本当に中止されるのかどうか疑問視していたのですが、さすがの温厚な日本人もついに我慢の限界に達したといったところでしょうか。

また「キチガイのような名前」であると当ブログで批判していた祭りの名称(厳原港まつり対馬アリラン祭)に関しても、今回から変更されるとのことで、これも朗報と言えそうです。

ちなみに「朝鮮通信使に関する報道を批評する」という当ブログのコンセプトから言えば、今回の記事には特に突っ込みたいような箇所も注目すべき点も見当たりませんでした。


2013/03/25

対馬で朝鮮通信使パレード中止の可能性

韓国人窃盗団によって盗まれた対馬・観音寺の仏像の返還を、頭のイカれた韓国の裁判所が差し止めるというトンデモ判決を下した問題で、長崎県対馬市の関係者は怒り心頭に発しており、日韓友好のシンボルとして同市で長年続いていた朝鮮通信使イベントを中止する可能性が高まっていると2013年3月24日付けの産経新聞が報じている。

通信使行列の再現パレードが同市の「厳原港まつり対馬アリラン祭」のメインイベントとして行われていることは当ブログでも以前触れたが、記事によると"島内には「まるで韓国の祭りだ」と反対の声もあったが、山本氏(同祭振興会長)らは「日韓友好のためだ」と説得"  して強行していたことが暴露されており、こんな事件でもなければなかなか表には出てこなかった情報として興味深い。

しかし、そんな山本さんも最近は、「もう韓国という国に我慢ならん。今年も(通信使パレードを)やるというなら私は会長を降ります」 と発言しているらしい。

この発言には、通信使関連行事の氾濫に批判的な当ブログとしてもエールを送りたいところだが、「何があっても韓国には寛容であれ」などと唱える馬鹿な文化人も少なくないこの国で、それが実現するかどうかは予断を許さない状況だ。事件の推移を見守っていきたいと思う。

ソース: 揺れる対馬 「朝鮮通信使行列は中止だ」仏像問題で怒り

 参考:「盗人猛々しい!」韓国の暴論、怒る対馬

関連エントリー:複雑な事情は華麗にスルー 

2013/02/23

嘘に嘘を重ねて実現した朝鮮通信使の来貢

2012年12月26日付けの長崎新聞のコラム「水や空」が、"今こそ「誠信の交わり」を" と題して、このブログでも何度か俎上に乗せた雨森芳洲と朝鮮通信使について触れている。

まずコラムの冒頭近く、朝鮮との交渉に際して雨森芳洲が、"秀吉の出兵は「両国無数の人民を殺害した」「暴悪」と考える歴史認識を示した" として、そのことで両国の関係改善が急速に進んだように書いている。「現代の日本政府も韓国側の歴史認識を認めろ」と言いたげな胡散臭い記述である。

しかし当時の徳川政権下において秀吉の所業を批判するなどは、ほとんどリスクのない安全な行為であり、河野談話のような馬鹿発言で後々まで祟られる現代とはまったく事情が異なるだろう。

またコラムは例によって、芳洲が提唱した"「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」という「誠信の交わり」" を賞賛し、誠信外交で対応したことが通信使来訪の継続に大いに寄与したかのように綴っている。

しかし当時の日朝関係は数々の嘘の上に成り立っていた。

例えば幕府と李朝の仲介をした対馬藩は、両者の間でやりとりされる国書の偽造や改竄を何度も繰り返した事実がある。朝鮮人の(無駄に高い)プライドを傷つけてヘソを曲げられないためにである。

しかも国書偽造が発覚しても、幕府は対馬藩主を強く咎めることはなかった。それどころか「余計なことをするな」という訳だろうか、偽造を告発した対馬の家老を島流しの刑に処している。

また江戸城において徳川将軍に平伏する際、朝鮮の正使たちは「将軍に平伏しているのではない。目の前にある朝鮮王の国書に平伏しているのだ」などと解釈することで屈辱感を糊塗したらしい。弱小国の根拠なきプライドとは言え、内心では日本を侮蔑しきっていたのである。

また日本において通信使たちは「朝貢使節」と認識されており、一般庶民たちからは軽く見られていたようだ。通信使たちもそのことは薄々知っていたが、波風が立つのを避けるため知らないフリをしていたという。

以上のように日朝が、お互いに上手に嘘をつき合いながら、微妙なバランスの下に実現していたのが「朝鮮通信使の来貢」なのである。言葉通りの「誠信外交」などやっていては実現可能だったかどうか怪しいものだ。

コラムは最後に"誠信の交わり」に徹すれば" "ぎくしゃくした日韓関係を立て直す" ことは可能であると〆ているが、そんなわけねえだろと突っ込んでおきたい。


関連エントリー
平気で嘘をつく中韓に「誠信外交」など百害あって一利なし

2013/02/22

文化使節か平和の使者か 主催者の都合によって変幻自在の朝鮮通信使

2013年1月27日付けの中日新聞静岡県版に通信使絡みの記事を見つけたので突っ込んでみたい。

記事によると、静岡市で開かれる国連軍縮会議の先行イベントとして、朝鮮通信使の再現行列が開催されたそうで、李氏朝鮮の衣装と称する鮮やかなコスチュームを身につけた市民や在日韓国人たちが市内をパレードしたらしい。

ではなぜ国際軍縮会議のプレイベントに朝鮮の朝貢使節がノコノコ出て来たかというと、

"朝鮮通信使は平和を望む徳川家康の招きで日本を訪れ"

"江戸時代の約二百六十年間、日本と朝鮮半島が平和に交流を続けるきっかけになった"

という理由であるらしい。つまり「朝鮮通信使は平和の使者なので軍縮会議と関係が深いニダ」と言いたいようだ。

なんとなくムリヤリ感のある理由であり、歴史的にも不正確だが、このイベントを企画した団体にとっては、かつて朝鮮通信使が来日したことを――正確には「日本に先進の文化を伝えた偉人」という、妄想の中の朝鮮人使節をアピールすることが主目的であり、理由の正当性など二の次なのだろうと思われる。

通信使来貢400周年の頃は、「文化使節」として新聞に紹介されることの多かった通信使が、今回の軍縮会議では「平和使節」に変身しての再登場というわけだが、通信使の実像のひとつである「素行の悪い朝貢団」として登場することは未来永劫ないのだろう。

2013/02/08

日本に暦法を教えた通信使が瓊瑶世界で茶の湯を嗜む

毎日新聞神奈川版2013年02月04日付けの記事に、朝鮮通信使に言及したコラムを見つけたので突っ込んでみたい。

『支局長だより』というタイトルで、毎日新聞の各地の支局長が持ち回りでエッセイを書いているようだが、今回執筆を担当したのは横浜支局長で、地元の韓国総領事との交流について綴っている。

それによると、朝鮮通信使の宿泊所として利用された横浜市清水寺の正門には、通信使が揮毫した扁額が掲げてあり、「瓊瑶(けいよう)世界」と綴られているそうである。

「瓊瑶」とは玉のことらしいのだが、玉を意味する漢字が2つ重なっているせいか、横浜の韓国総領事氏はその意味を「二つの玉は互いに光を照らしあって、さらにその輝きが増すという意味」と解釈している。

どうやら日韓関係を暗喩しているらしいのだが、日韓を二つの玉に喩えるには少々違和感がないだろうか。

確かにアジア唯一の先進国日本は「玉」かもしれないが、韓国は南北に真っ二つに割れた石礫じゃあないのか、そんな意地悪な突っ込みも入れてみたくなる。

また「瓊瑶世界」と揮毫した通信使について"第5回朝鮮通信使(1643年)の一員で、日本の学者に暦法などを教えたとされる" と書いてあるが、これにもかなりの違和感がある。

日本には通信使の時代より遥か以前から暦法が存在しているのに、なぜわざわざ改めて朝鮮通信使から教わらなくてはならないのか。

疑問に思って調べてみると、中国にはない朝鮮独特の暦法を伝えたと書かれている資料があるようで、おそらくそれのことを言っているらしいのだが、このような記述では不十分だ。

まるで暦法を知らない日本人に、朝鮮通信使が初めてそれを教えたように誤読する人間もいるのではないか。わざとそのような誤読を誘っているような怪しい記述ですらある。考え過ぎだと言われそうだが、毎日新聞には様々な前科があるので油断は出来ない。

さらに資料を漁ってみると、他にも様々なことを伝えたとする文献を数種発見したが、どれも韓国側の主張であるため信用するに値しない。この支局長も、領事から聞いた話をそのまま垂れ流しているだけなのではなかろうか。

またエッセイの最後の方にも気になる一文があって、"総領事館の中にはこのほど、新たな茶室ができた" そうである。茶室があるということは、韓国領事館の中で茶の湯でも催されているのだろうか。

領事の細君か何かが、高麗茶道とかいう滑稽なパクリ茶道を実演しながら「茶道の起源は韓国ニダー」などと息を吐くように嘘を吐き、横浜支局長が「ははあ、そうなんですか。すごですねー」などと何の疑問も持たず相槌を打っている場面を想像してしまった。

もっとも韓国には、中国の茶礼を元にした茶道の流派もあって、そちらの方は日本の茶道とは似ていない上に起源捏造とも無関係なので許せるのだが、はたして横浜領事館で演じられているのはどちらの流派の茶道なのたろうか。

2012/08/06

複雑な事情は華麗にスルー

八月六日の西日本新聞に少し気になる通信使関係の記事を発見した。

タイトルは「歴史絵巻華やか朝鮮通信使再現」 という陳腐なもので、内容と言えば、朝鮮通信使ゆかりの地の対馬で通信使行列が行われたというだけのものだが、「先進の文化を伝えた」だの「日本文化に多大な影響を与えた」だのという噴飯モノの寝言が書いてないのは感心であるにしても、"李王朝が派遣した文化・外交使節団" などと解説してあるのはいただけない。

もちろん「朝貢使節」などと本当のことを書いてしまっては国内外のコリアンたちの反発が鬱陶しいという事情は推察できるが、せめて「外交団」くらいにしておけばよかった。わざわざ「文化・外交使節団」 と書くことで「江戸文化に多大な影響を与えたニダー」的なミスリードを誘う可能性もなくはないからだ。

それはともかく、気になったのはイベントの名称が「厳原港まつり対馬アリラン祭」 という奇妙なものになっていることである。

ひとつの名称の中に「まつり」「祭」という同じ意味の文字が同居しているのはいかにも妙だが、これには事情があるらしい。

以前は「厳原港まつり」と呼ばれていたものが、親韓派のゴリ押しによって「対馬アリラン祭」に変更されたところ、地元の評判がすこぶる悪く、寄付の集まりや集客数が悪化したので、仕方なく「厳原港まつり対馬アリラン祭」というキチガイのような名称に再変更されたということらしい。

そのような裏事情を取材して書いたらさぞ面白い記事になりそうだが、もちろん西日本新聞は華麗にスルー。地方紙にはありがちなこととは言え、学校新聞の中学生記者でも書けそうな毒にも薬にもならないものを今日もせっせと書いている。

2012/06/29

不人気イベント「朝鮮通信使行列再現」を市職員が必死で宣伝

今夏もまた山口県下関市で恒例の「しものせき馬関まつり」が開催される。

最大の呼び物はピーク時には5000人以上もの市民が参加したと言われる壮大な「平家総踊り」であるそうな。

この他にも人気の催物は数々あるが、平成16年からは市の主導で「朝鮮通信使行列再現」なる怪しいイベントが雑じり込むようになっている。

地元が朝鮮通信使の寄港地であったことに因んで始まったイベントのようだが、参加者を集める のに苦労しているらしく、今年は市職員が朝鮮通信使のコスプレで来庁者にチラシを配布するなどの涙ぐましい努力で参加を募っているとのことだ。

どうやら市ではこの行列を平家総踊りのような人気イベントに育てたい意向のようだが、その裏側に外国勢力の怪しい意図が働いていないか検証する必要がありそうだ。

また地元のBBSなどを覗いてみても「お邪魔虫イベント」「ゴキブリ行列」「鶏を盗むシーンも再現しろ」などと揶揄する書き込みも散見され、表立って反対する者こそいないものの、さほど一般市民からは歓迎されていないのが実情のようだ。

日本の祭の中に朝鮮風俗が紛れ込むことに違和感を持つ市民も多いのかもれない。

たかが朝鮮の朝貢使節の再現が、市にとってどれほどの意義があるのか知らないが、どうしてもやりたいのなら馬関まつりとは切り離して別の日に行ってもいいのではないだろうか。

2012/03/07

平気で嘘をつく韓国を相手に「誠信外交」など百害あって一利なし

3月5日の長崎新聞Web版で通信使関係の記事を拾ったので紹介したい。

タイトルは「対馬で儒学者雨森芳洲をしのぶ」

朝鮮通信使と関係の深い対馬藩の儒学者、雨森芳洲の功績をしのぶ「芳洲会」が、対馬市某町で開かれたと記事は言う。

芳洲は、江戸の名門塾で新井白石らと机を並べた秀才のわりには、儒学者としての大した功績も無いようだが、朝鮮外交で活躍した。

「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」という「誠信外交」の精神とやらを説いたそうで、記事ではそのことが功績であるかのように紹介されている。

しかし当時それを誰かが評価したという話は伝わっておらず、また現代に誰かが同じことを唱えたとしても、ナイーブ過ぎてまともなアカデミズムの世界からは失笑を買うのがオチだろう。

国家間における外交は「武器なき戦争」にも喩えられるが、初心な雨森先生にそのような考えは微塵もなかったようである。

ちなみに、反日サヨク吉田清治の作り話を発端として、日韓の外交問題に発展した、いわゆる"従軍慰安婦"だが、当初韓国政府は、日本政府が強制連行を認めてくれさえすれば外交問題にはしないとの密約を申し出たそうだ。

それを信じた河野洋平という馬鹿があっさりと認めて「河野談話」を発表、しめたとばかりに韓国政府もあっさり密約を破棄すると、大々的に外交問題化して騒ぎ始めた。

つまり詐術を用いて強力な外交カードを手に入れたわけだが、もしこれを「誠信外交」の雨森先生が知ったらどう思ったことだろう。

それでもやはり韓国には「誠信」であれと説くのだろうか。

2012/02/05

朝鮮通信使の歴史を語る資格



爆笑請け合いのMADを発見。基本的には韓国の歴史捏造全般を揶揄する内容ですが、後半に朝鮮通信使にも言及されているので紹介してみました。

2011/11/23

江戸時代のコスプレ行列を再現する歴史絵巻

11月10日の埼玉新聞に通信使関連の記事を発見した。

埼玉県川越市でここ数年来 行われている「復活!唐人揃い-朝鮮通信使-多文化共生・国際交流パレード」 というイベントの紹介記事で、記事の内容にも少々突っ込み所があるのだが、今回は無視してイベントそのものに少し突っ込んでみたい。

そもそもこのイベント、全国に数ある通信使関連行事の中では少し毛色が変わっている。

主催者によると「唐人揃い」とは、朝鮮通信使を模倣した仮装行列のこ とであり、江戸時代に川越祭りの出し物のひとつとして行われていたそうである。

つまりこのイベントは通信使行列の再現ではなく「通信使行列を模倣した江戸時代の仮装行列を再現する」という、少々ややこしい構造を持っている。

ではなぜそんなものを復活させたのかというと…

――朝鮮通信使は文化交流や平和外交のシンボルである。故にそれを模倣した唐人揃いという出し物を多文化共生や国際交流の大切さを訴えるパレードとして復活させた――

実行委員会のサイトなどを見たところでは、大体こんなような趣旨だと思われるのだが、どこかすっきりしない言い分に感じるのは私だけだろうか。

そもそも根本的な問題として、江戸時代の唐人揃いなる出し物が、朝鮮通信使を模したものであったとする主催者側の主張が、かなり根拠薄弱なのである。

そうであったと書かれた文献などは存在しておらず、またあるサイトには、唐人揃いは朝鮮通信使ではなく、琉球使節を模した仮装行列であったと書かれているが、そちらの根拠には説得力があり、おそらくそれが真相なのではないかと思われる。

またYouTubeなどに上げられているパレードの動画を見た限りでは、多文化共生だの国際交流だのを謳っているわりには、通信使行列を筆頭にサムルノリだの朝鮮舞踊だのとコリアン系の団体が圧倒的に多く、申し訳程度に他の民族衣装を着た人々が雑じっているといった状態だ。

また「唐人揃いの再現」という趣旨の割には「国書交換式」まで行われており、これでは唐人揃いの再現ではなく朝鮮通信使の再現ではないかと突っ込みたくなる。

おそらくは、埼玉は通信使のルートから外れているため、それらに関する史跡は何もないが、それでも何か通信使関連の行事をやりたいと考えた人々が、かつて存在した唐人揃いというイベントを、朝鮮通信使の模倣だったと強弁したのではなかろうか。

在日の韓国朝鮮系の人々は、朝鮮通信使が日本に多くの価値ある文化を伝え、多大な影響を及ぼしたと信じている人が多く、かつそれを日本人に誇示したいという気持ちが強いのだ。そのせいで通信使関連イベントの開催にも非常に熱心な傾向がある。

またイベントの後援団体として、韓国文化院だの民団だの総連だのが名を連ねていることから見ると、本国の意思も大きく関与したイベントであると言えそうだ。要警戒である。


2011/11/13

通信使が途絶えて200周年を記念する

今回は11月7日の朝日新聞長崎県版の記事を弄ってみたい。

なんでも今年は最後の通信使が朝鮮からやって来て200年目に当たるそうで、彼らに縁のある地域の関係者が対馬に集まって記念の大会を開いたそうだ。

最初の通信使の来日から200年目を記念するならともかく、「最後の到来から200年目」とはこれいかに。それって記念するようなことなのかと突っ込みたくなってしまう。

それはともかく、例によって顎足付きで招待された韓国人たちを交えた通信使パレードも行われ、最後に国書交換式なるものの"再現 "があり、朝鮮通信使の派遣を"世界に誇れる史実" などと礼賛するメッセージを国書に見立てて交換したそうである。

ついでに将軍に贈る貢物の献呈式も再現したらどうかと皮肉のひとつも言いたいところだ。

彼らが行っているのは「世界に誇れる善隣友好使節」という空想物語の上演であって、「朝貢使節の派遣」という史実を再現してはいないのである。


2011/11/10

北斎が描いたのは朝鮮通信使ではなく琉球使節

世界的に有名な浮世絵師、葛飾北斎が描いた「東海道五十三次」の中に外国人らしき人物が登場する画が二つある。

一つが「由井(第十七景)」。旅宿と思われる場所で、僧侶が墨をすり、外国人風の人物が「清見寺」と揮毫している光景だ。


北斎『東海道五十三次・由井』


もう一つは「原(第十五景)」で、雄大な富士を横手に眺めながら街道を行く外国人風の集団が描かれている。


北斎『東海道五十三次・原』

これら二つに描かれた外国人が朝鮮通信使であるとする記事やブログをいくつかネット上で見たことがあり、筆者も最近までそう思っていたのだが、どうやら間違いであることに気がついた。

北斎存命中に朝鮮通信使は二度行われたが、一度目は北斎がごく幼い頃であり、二度目は幕府の財政難もあって対馬までしか来ていない。だから北斎はその目で実際に通信使を見てはいないと思われる。

それに比べて琉球使節は北斎存命中に六回、北斎が誕生した1760年から「東海道五十三次」が製作された1804年までの間だけでも三回は日本を訪問している。

また浮世絵とはその時代を活写する風俗画だが、すでに前回の来貢から40年を経た1804年の時点では、朝鮮通信使など古臭い過去の出来事でしかなく、その年に製作された「東海道五十三次」の題材に選ばれるとは考え難い。

それに比べて琉球使節は前回の来訪から八年ばかり、次の江戸上りを二年後に控え、当時の人々にとっては胸躍るようなカレントトピックであったろう。

それら諸々を考慮すれば、北斎の「東海道五十三次」に描かれた外国人は、朝鮮通信使ではなく琉球使節であったと考えるのが合理的というものだ。


2011/11/07

やい倭人、ウリの子供に会わせろコラ

地方紙の大阪日日新聞に朝鮮通信使関連の記事を見つけた。

どうでもいいような話だが他にこれといったネタも無いので少し弄ってみたい。

「大阪あそ歩」というタイトルの連載記事で、小さなツアーを組んで大阪市内の旧跡を訪ね歩くという企画のようだが、今回は九条という地区を紹介している。

そこには朝鮮通信使の墓があるのだという。眠っているのは金漢重というもので、旅の途上で病に倒れ、九条地区の寺で養生することになった。

彼には二人の子供がいたそうで、"望郷の念にかられて子どもに会いたいとすがる金の姿に、大坂の医者たちが心を痛め、同じ年頃の日本の子ども2人を呼び、わが子に見立てて看病させた" そうである。

当時の交通事情や出入国制限を考えれば、たとえ大名クラスが奔走したとしても、朝鮮から子供を呼び寄せるなど相当に困難なことだろう。

一国の外交官ともあろうものが、ただでさえ病気で厄介をかけておきながら、そんな無理難題を吹っかけて他国人に「すがる」とは、節度に欠けるというか情けないというか、やはり彼らは昔から感情のコントロールが苦手だったのかと言いたくもなる。

自分の立場もわきまえず無理難題をふっかける通信使と、願いを叶えてやろうと苦慮する日本人医師――なんとなく現代の日韓関係にも通じるものがあるエピソードではなかろうか。